令和8年7月27日(月)に、山形テルサ3階研修室Aにて「第115回支援者のつどい」及び「令和8年度やまがた避難者支援協働ネットワーク意見交換会」を開催しました。話題となった概要を広く皆様にお伝えします。ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。
<参加者>順不同
中間支援団体 1団体
情報支援団体 1団体
南陽市社会福祉協議会
山形市社会福祉協議会
山形県社会福祉協議会
山形県被災者・避難者支援室
福島県避難者生活支援課
宮城県復興支援・伝承課
ふくしま連携復興センター
<プログラム>
13:30 開会 あいさつ
13:40 【第1部 第115回支援者のつどい】
演題:「今後の変化を見据えた避難者支援を考える」
講師:街活性室株式会社 市民活動事業統括 髙田 篤氏
(元 一般社団法人東北圏地域づくりコンソーシアム 事務局長)
14:35 休憩
14:45 【第2部 令和8年度やまがた避難者支援協働ネットワーク会議意見交換会】
- グループ討議
- 発表事項の整理
- 全体発表・講評
16:00 閉会
■【第1部 第115回支援者のつどい 講演】
演題:「今後の変化を見据えた避難者支援を考える」
講師:街活性室株式会社 市民活動事業統括 髙田 篤氏
(元 一般社団法人東北圏地域づくりコンソーシアム 事務局長)
<講師紹介>
東日本大震災発災時は宮城大学に勤務し、震災後は一般社団法人東北圏地域づくりコンソーシアムの事務局長として2023年まで広域避難者支援や被災地域の支援に取り組んだ。浪江町の復興支援事業として各地域に復興支援員の配置や、全国に避難した町民の声を集め町の広報誌に掲載するなど、町民の絆をつないだ。また「ふくしま仙台サロン」を開催し、多くの福島県民の交流の場を作るとともに、当事者同士のコミュニティづくりに長年取り組んだ。
<講演について>
被災県でもある宮城県で広域避難者の見守りやサロン活動、浪江町独自の支援事業を行った経緯と取組みを振り返り、事業の収束を経験された髙田氏の講演から山形県での今後の支援の方向性を考える。
<山形県のこれまでの広域避難者支援活動>
・福島県からの県外避難者のピーク時の人数は62,831人。現在は18,684人となっており、うち山形県には974名(令和8年5月時点)が避難している。
・山形県では、震災以前から山形県災害ボランティア支援ネットワークが形成されており、災害時に行政、社会福祉協議会、NPO、ボランティア団体などが連携する仕組みが制度化されていたため、発災後、行政の災害対策本部と並行して民間団体と連携した支援体制を速やかに立ち上げることができた。
・早期に県、県社会福祉協議会、市町村社会福祉協議会が連携して生活支援相談員を配置し、訪問による様々な情報収集を行った。また浪江町の相談員も配置し、避難元と避難先の二重のアウトリーチ型の支援が行われ、避難者の正確な情報を元に災害ケースマネジメントへ大きく繋がった。
・民間団体や避難当事者による団体の活動も多く、NPO、避難者支援団体、当事者団体、中間支援組織などが、それぞれの役割を担い互いに支援内容を補完し合えた。
・避難者の把握は避難所名簿などを通じて比較的早い段階で情報が集まり、支援事業に繋がったが、一方で避難所や仮設住宅に避難せず親族や自ら民間住宅で生活した人は把握されず、支援対象から外れたケースがあった。
・避難元は避難者の情報を把握できていた面もあるが、自治体間でコミュニケーションが十分ではなく、避難者の情報共有ができず必要な支援が届かなかった。受け入れ側が情報取集を積極的に行わないと情報が取れないのは現在も同じ状況にある。
<浪江町外避難者支援の取組みの振り返り>
・浪江町は全町避難となり、約2万人の町民が全国各地に避難した。
・役場も避難を余儀なくされ、町単体では町民支援が困難となり、民間団体と協働し支援を行った。
・復興支援事業の基本として「被災者が主体となる復興」があげられ、被災者が復興に参加し「助けられる側」に置かず、他者と協力して復興に関わることを目指した。
○浪江のこころ通信
・最初の取組みとして「浪江のこころ通信」を開始し、全国各地のNPO、中間支援組織、大学関係者などが避難者を訪問し現在の生活、悩み、故郷への思いなどを聞き取り、町の広報誌に掲載した。取組みは11年間続き、避難者同士が思いを共有することでそれぞれが自立し復興に繋げる役割となり、町民の記録としても重要なものとなった。
○浪江町復興支援員
・各地の交流事業を本格化するために、復興支援員を全国10地域27名配置した。支援員の約半数が当事者で、全員が町の職員として雇用され、町民の個人情報を扱える立場で地元の団体の協力を得て交流会、戸別訪問、情報提供などを行った。
・初期は交流会が中心だったが、参加者の固定化が課題となり、その後は戸別訪問へと移行した。町の職員として直接町民の悩みを聞き、各地で試行錯誤しながら支援を行った。
・支援員は指導や助言を行わず必要な情報を提供し、避難者自身の決断に寄り添う立場で最後までマニュアルを作らず活動した。
・全町避難という前代未聞の事で、正解のない支援事業だった。支援組織の中で縦割りを作らず、全員が対等な立場で協力し合った。
・支援員には特別な専門性を要さず、様々な支援の中で「市民的専門性」という独自の専門性を身につけた。災害に遭った方はあらゆるものを失い、ひとつの専門性だけでは支援しきれないため、身近な他者として伴走することで自己決定を支える支援力が必要となった。
<サロン活動のしまい方>
・宮城県では震災直後に福島県からの避難者数の把握が十分に出来ず、震災から3,4年目まではみなし仮設住宅を適用された広域避難者は少なく、宮城県に避難した浪江町民約500人の1割程度が対象だった。
・広域避難者の把握は完全に受け入れ側に委ねられ、自治体や社協のサロンも開催されたが収束していった。
・避難指示解除の問題があり、避難先での繋がりへの意識が弱かったが、震災から6、7年目には宮城県内に住む同じ震災経験をした人との交流を希望する声が増え、2017年10月に「ふくしま仙台サロン」を開始した。
・同時期に避難元の復興事業が本格化し、県外避難者支援への事業費が減少傾向になった。浪江町復興支援事業もその時期に終了となったので、補助金等を活用し2023年までサロンの継続を図った。
・震災から10年目の2020年にサロン活動を終了する予定だったが、コロナ禍に入り繋がりが一気に切れてしまうと考え、人数の制限を設けたり広い会場を使用するなど工夫してコロナ禍も開催を続けた。外出支援として県外の避難先との交流も行い、「いこい通信」をツールとして宮城県の広域避難者の存在を発信し続けた。
・2023年まで132回、のべ2,239人が参加し、今までの活動を振り返り「いこい通信」の最終号を作成。宮城県に避難した方の一部ではあるが、繋がりづくりが出来たことでサロン活動を終了とした。
・支援者として、避難者がサロン以外でどれだけ交流し、互いに気遣う関係になっているかを大事にした。少しずつ役割を当事者に移行し、サロン活動の強制ではなく避難者同士の関係性を維持できるように連絡先名簿を作成するなど2024年まで支援を行った。
<これからの支援活動の展開に向けて>
・支援を終えるのは支援者側の都合だが無限に続くものではないため、終了に向けての議論が必要となる。震災から15年が経過し課題が一般化している部分も多いため、平時に地域福祉への移行が求められる。
・実際に支援の引継ぎが十分ではない地域が殆どである、令和7年度で支援が終了した岩手県では、被災者生活相談センターを維持し窓口を残しているが、受け入れを拒否した自治体もある。
・平時の災害では2,3年目で支援が終了してしまうため、その後の被災者の悩みが見えない現状にあり、長期間のスパンで可視化するには福祉の仕組みしかない。その後の避難者を一般住民としての受け入れ、各地域の福祉との協力体制を整える必要性がある。
・故郷の繋がりを求めることは一般の移住者にも大いにあることで、避難者を特別視せず、地域福祉の中で生かしていく必要がある。
【質疑応答】
Q:浪江町復興支援員に対して研修が行われていたのか、また、訪問件数などの成果目標が設定されていたのかお伺いしたい。
A:研修だけでなく、全国の支援員と支援団体が集まる連絡会議が年4回程度あり、直近の期間に行った活動や進捗状況を共有していた。また共有した情報を元に次の期間の支援内容と目標を各支援員が持ち帰り、他地域の取組みを取り入れるなどしてマニュアルを作らず活動していた。新任支援員に対する研修は別途年間7~8回程度開催実施していた。
Q:住民票が避難元にある避難者を、避難先自治体の地域福祉や重層的支援の対象として、どのように扱うべきか。また、福島県からの支援等について今までの活動からお聞きしたい。
A: 山形県は福島県からの支援事業が比較的多く、連携もできている。住民票がない避難者が病気や介護によって医療サービスを受けるのは避難先になるので、最終的には避難先の負担になる。しかし、介護予防や孤立防止など状態が深刻になる前の段階での支援モデルを作り取り組んでいくことが、将来的な避難先のコストを抑えることに繋がると考える。








