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WEB管理者 さんの日記

 
2017
12月 13
(水)
15:22
第72回支援者のつどい【話題概要】第1部・第2部
本文
平成29年10月26日(木)、山形市男女共同参画センターを会場に、第72回 「支援者のつどい」を開催しました。話題となった概要を広く皆様にお伝えします。
ご参加頂きました皆様、ありがとうございました。


<参加者>
コミュニティ支援団体 1
中間支援団体 2
助成団体 1
山形市 総務部 防災対策課
山形県復興・避難者支援室
参加者数:8名(6団体)  スタッフ:4名  計12名

■第1部:情報提供
「これからの被災地に求められる地域人材とは
〜福祉系・地域系支援員の活動から見えてきたこと〜」
一般社団法人東北圏地域づくりコンソーシアム 


<調査について>
・今年の4月〜11月に宮城県内のNPO法人が「被災地における福祉系・地域系調査事業」を行い、宮城県内の支援員の取組みの概要や特徴、課題、平時にも取り込めるものはどれくらいあるのか調査した。
・福祉系の生活支援員と、復興支援員と2つのタイプの支援員を対象に気仙沼・南三陸・東松島でヒヤリングをした。

<支援員の配置に至るまで>
・福祉系の生活支援員は戸別訪問から始まる。復興支援員はコミュニティづくりから始まる。プロセス支援は共通だが、最初の段階が福祉系の支援かコミュニティづくりかで違う。
・福祉系の支援員は阪神淡路大震災・中越地震でも先例があったが、宮城県は自治体が全滅していたので立ち上がりは遅かった。
・南三陸町でいち早く被災者サポートセンターができ、ピーク時は130名の支援員がいた。
・宮城県では、各市町村の社会福祉協議会がサポートセンターを開設したケースが多かったが、手がいっぱいで社会福祉士会に業務を委託した。
・県では「宮城県サポートセンター支援事務所」を開設。県内60箇所のサポートセンターを支援した。
・ピーク時600~700人の支援者はほとんどが無資格者で7割は被災者だったので、研修は重要になった。支援者は入れ替わりが激しく、毎年基礎研修をし、毎年3,000人を育成した。

<南三陸町・東松島市の調査>
・南三陸町は55%が被災し、役所も流され、避難所は1次から2次へ、プレハブ仮設からみなし仮設へ、その後は災害公営住宅・防災集団移転に分かれていった。町外に仮設住宅を作り、住民はバラバラになってしまった。
・南三陸町では震災後5月から福祉系の支援員が活動を始めた。失業者も多く、当事者130人を雇用し支援員の研修から始めた。被災者の支援は生活全体が支援の対象になる。
・被災者戸別訪問の件数は100万件、交流会は600回、地域への支援も徹底された。
・支援員の数は2013年132名で今年の3月は28名だった。支援員を辞めた方は、社協や福祉施設の職員や民生児童委員など地域社会の貴重な人材に成長している。
・中越地震では仮設住宅が3年間で終了し、地域復興支援員は震災の3年半後に設置された。今回は避難所から仮設住宅の2次避難所と急速に移行していき、コミュニティ支援は急がなくてはならなかったため、震災後の8月からコミュニティ支援を始めた。
・南三陸町と東松島町の仮設住宅に入居している人の調査から始めた。
・震災の半年後から「復興寺子屋」での勉強会が始まり、住民にも情報発信をした。
・南三陸町では復興まちづくり推進員が活動した。途中から民間の団体にも入ってもらい現在も続いている。
・1年ほどかけて住民がどこに避難しているのか確認をして、元の集落を再生していった。
・防潮堤を作る話題が出ると、住民と行政の対立が起きた。支援員が賛成・反対の住民両方に声をかけ、住民と行政が議論する場を設けると、溝は埋まらないが住民は納得をした。
・復興事業への住民参加は、堅い事業では世帯主しか参加しないので、女性や老人が参加できる場を設けるため、会食や椿の種を植える交流会も開催し、苗を育てている間の5年間が復興を心待ちにしているプロセスした。
・復興住宅入居予定者から関心を持ってもらうために、入居の2年前から事前の勉強会をした。
・サポート団体を作り、専門家は支援者を支える側にまわった。パソコン技術研修やコミュニケーション、ファシリテーションを地域間でお互いに学んだ。
・2週間に1回情報を共有し、振り返りをしながら次の2週間の予定を考える工程管理
の研修や、奥尻島の11メートルの防潮堤を視察に行った。研修の繰り返しで支援員とサポート側も育っていく。
・2012年1月から気仙沼市・多賀城市・東松島市で総務省の復興支援制度が始まった。
・コミュニティはお茶会や町づくりの話などから始まった。支援員との間では地域につながる本音が言える。当事者は自分の地域の事を仕事としても考えるようになる。
・当事者から当事者性を持った支援員へ転換するが、さまざまな人がいる中で、被災の程度が軽い人が支援員になった。
・福祉系は2年目から、コミュニティ支援は3年目から定期的な振り返りを重ね、地域の問題を客観視できるようになり、支援の活動をやめてからも地域の役員になっていく。

<調査結果から>
・当事者の支援員はなくてはならない存在で、仲介など新しい役割を担う。これを「市民的専門性」という。福祉と地域づくりの支援の共通点は当事者性や市民的専門性である。
・福祉は囲い込み型の支援だが、地域系の支援は最終的には自立が目標で突き放し型の支援になる。マニュアルはなく、経験しながら成長していく。
・事業は国から市町村に直接きていたので、小さい市町村ではなかなか対応が難しかった。
・中間支援はあるが、全体を統括する所がなかった。
・支援員が気づいたことを次の活動に活かし、マニュアルを作らない体制が必要だった。みんなで振り返り考えると可能性は見えてくる。育成やしくみをつくるには2〜3年はかかるが、解決できる人が地域にいれば機能できる。この仕組みは平時からあったほうがよい。
・中間支援組織は平時から機能を強化して、地域の人の育成が必要で、地域コミュニティがバランスよくはいっていくことが大事である。
・宮城県のある市町村では、平時のしくみを整えて災害に備えている。地区公民館の指定管理に、婦人会・老人会・子ども会などの事業を上乗せし地域組織の事務局の支援をし、集落の計画・自治活動の促進・地域包括ケアの事業を展開する。住民の相互扶助し事業を増やしている。一つのモデルになっていて、地域雇用促進職員がいる地域で行っている取組みである。
・普通の行政のしくみを地域が主体になって行い、参加することによって担い手になる人を地域に作っていく事ができる。

<質疑応答>
Q支援員の活動時間帯はいつか。
A原則は平日の昼間だが、シフト制で土日に出勤の人もいる。臨時職員で交代勤務である。

Q地域包括ケアの仕組みも一緒に進行していったのか。地域包括ケアは市町村の事業に入っていたのか。
A一つの事例では支援事業とは別に進行している。地区公民館指定管理料を上乗せして、地域活動支援を運営している。

Q勤務しているのは高齢者が多いのか。
A高齢者ばかりではなく、ヘルパーの資格を持っている若い人もいる。

Qそこでは自治体が積極的に動いてくれたのか。
A公民館の指定管理はどこでも受けられるが、地域課題解決のための企画提案や、地域支援施設の取組みなどは提案方式で行政職員が一緒に作っていった。職員が地域に入り一緒にできるプロセスを作り、地域の人を育てていく。仕組みと地域の人が一緒に歩んでいくことが大事である。

Q地域系の支援員は、住民同士の対立や精神的な疲労や心理面のケアはどうしたか。
A震災後1〜2年は当事者の思いが強く客観的な視点がなかったが、自分の思いとは別に活動出来るようになれば支援員として活動できるようになる。
・支援員だけではなく、外部の人がサポートをする事は大事である。
・地域の中で分裂してしまうことは避けて、地域住民の枠は超えてはならない。
・疲弊は3年目入りに難しくなった。支援員と住民の対話や支援員とサポート側の対話も大切である。問題を抱えた人に訪問を続けると支援員も同化してしまうので、サポート側が注意してあげる。
・自主避難者のサポート団体が運動体になってしまう場合があり、注意しないと対象者と同化してしまう。事前にあえて壁をつくり割り切る事が大切である。全体を考えてくれる人が必要である。

Q集落を再生して一住民にもどる工程は難しいと思うが、現在はどのような状況なのか。
A自治会ができ、1年の活動後に支援を終了している所もあるが、自治会ができても支援を継続しているところもある。
・仮設住宅で支援を断っていた避難者が孤独死をしていた。専門家が震災直後に支援不要と決めた事は正しいが、状況は変わっていく。個別支援の難しさがあり、市民的専門性がないと対応はできない。普通に生活をしていく感覚をいれながら市民に寄り添っていく事が大切である。
・マニュアルを作ったところは失敗している。
・予算の問題で撤退している団体は多く、残念である。
・中間支援の役割は行政だけでは難しい。



■第2部 
<活動報告、現状、課題>
・復興庁の事業で、避難指示解除区域で、移住者や帰還者の話し合いの場や住民が気軽に寄れる情報交換の場を作りたいと要望があり、ネットワークの設立を推進する活動を今年から始めた。現在は小高区で設立準備をしており、浪江町、川内村でも準備中である。
・避難者数は4月から10月5日現在で138名の減少であった。
・10月に県内の避難者世帯の状況を調査した。福島県からの避難者約8割は、避難指示区域外からの避難者で母子世帯の割合は多い。
・10月2日にネットワーク会議で講演をしてもらい、意見交換と支援活動の振り返りをした。
・8月から毎週避難者の交流会をしていて、山形市・米沢市・寒河江市・天童市や南相馬市の人も参加している。参加者に合わせた日程で収穫をした。
・「土と野菜にふれる」体験と避難者の訪問と交流会をしている。子どもが大きいミミズをつまみ喜んでいた。
・避難者は子どもも親も同じストレスを抱えている。
・10月の山形市のスポーツイベントでは、避難者と市民300人が集まり交流ができた。
・福島のママカフェに視察に行った。
・米沢市では来年の311の実行委員会をした。
・福島県相談会を米沢市で開催した。避難元自治体の制度、戻るために必要な情報の相談が多い。住民票の問題でサービスが受けられない人など、解決が難い相談もあった。生活が大変な相談は10月に2件あった。関連先との連携も大事だと思った。
・浪江の支援員で定期的に集まれるサロンを開催したい。
・宮城県のA市では、町内会でまとまった災害公営住宅を作ったが、B市では、仮設住宅にいる時はサロンもあり交流ができたが、一戸建てに移ると集会場がなく交流が出来なくなってしまったようだ。
・C市には、震災後35世帯が移り住み土地の値段が安いので、秋田・東京・横浜からも住人が移ってきた。住民との関係が難しいようだ。
・新しい町を作ったら、集会所を設け住民が集える場があった方がよい。

<告知>
・福島県の避難者支援団体を対象に「共に生きる」ファンドの助成をしている。来年からは2回のみになる。
・11月から市町村職員と社協で全戸訪問し米を配布し窓口紹介や状況の確認をしても
らう。
・今後の暮らし相談会は、米沢会場が11日に山形会場が12日に開催される。
・12月2日にクリスマス会を開催する。
・来月の17日に「ワンコイン地域力カフェ」がある。地域との関わりは普段から大切である。
・「私たちが今ここに」をHPで掲載をしているので見てほしい。
・浪江町の「こころ通信」は7年目になり冊子にまとめて発行することになった。
・11月21日〜22日で福島県の支援をしている団体で情報交換と浪江町の視察に行く。東北・北海道地区では初めての開催である。
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