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WEB管理者 さんの日記

 
2017
6月 16
(金)
11:24
第66回 支援者のつどい 話題概要【第1部】
本文
平成29年4月26日(水)、山形市男女共同参画センターを会場に、第66回 「支援者のつどい」を開催しました。話題となった概要を広く皆様にお伝えします。
ご参加頂きました皆様、ありがとうございました。
なお、内容が多いため、【第1部】と【第2部】に分けて掲載しています。

<参加者>
中間支援 3団体
コミュニティ支援 2団体
カウンセリング 1団体
アートセラピー 1団体
助成団体 1団体
調査 1団体
天童市社会福祉協議会
高畠町社会福祉協議会
寒河江市社会福祉協議会 
山形市社会福祉協議会
福島県生活拠点課
山形県社会福祉協議会
山形市避難者交流支援センター
浪江町宮城駐在
山形市 総務部 防災対策課
参加者数:26名(18団体)  報道:2名(2社) スタッフ:4名  計32名

■第1部 支援活動に関する情報提供、質疑応答
提供者:伊達もんもの家(NPO法人りょうぜん里山がっこう)
テーマ:「帰還後の暮らしと帰還者の支援活動」

・2011年〜2015年まで山形で母子避難。娘の入学に合わせて伊達市に帰った。
帰還当時は何を信じていいのか、悩んだが今は落ち着いている。

・「伊達もんもの家」は2016年9月に交流の場としてオープン。帰還者同士で話せる場。この場があるだけで落ち着くと言われている。お母さんたちの気持ちを大切にして一緒歩みたい。

・山形市の借り上げ住宅に2015年まで住んでいた。現在4人の母親である。帰還した時は子どもの入園入学が重なり、放射能や水や食料なども気になり落ち込んでしまったが、気にするのをやめると生活も楽になった。今は洗濯物を外に干さない、測定値の基準を超えていなければ大丈夫など、自分の中でルールを決めて生活をしている。

Q 山形にいた時は子どもの預け先はどうしていたのか。
A 山形の福祉団体サービスを利用し、自宅で託児をしてもらった。
A 子育て自助団体のサービスを数回利用した。突然具合が悪くなった時は病院に子どもを一緒に連れていった。預かってもらえる場が一か所でもあると安心できた。伊達市では何かあれば、車で10分の祖父母宅に預けている。

Q 山形の良いところ、不便な所はどこか。
A 山形は支援センター、子どもの遊び場も充実し、社会福祉協議会の支援員や民生委員の方に、夫が不在の時に悩みを聞いてもらい助けてもらい、ありがたかった。
A 子どもの遊び場が充実していて子育てしやすかった。子育て自助団体に行ったのが働くきっかけになり、スタッフと話をすることで、気持ちも落ち着き、子どもも他のスタッフからみてもらえた。

Q 山形での遊び場はどこを利用したのか。
A 子育て支援センターに毎日行った。

Q 帰還してからは遊び場や子育て環境はどうか。
A 屋内遊技場が2か所あるが、子どもが大きくなると狭い、飽きたと感じ行かなくなった。山形の公園は大きく整備もよかったが、伊達では公園も少なく遊ばせる場がない。
A 子どもを外で思いっきり遊ばせたい時は山形に連れて行き遊ばせている。

Q 近くの公園は利用しないのか。
A 除染すれば利用するが、今まで1度しか除染をしておらず、放射線量が高いと思うと子どもを遊ばせたくない。

Q 伊達に帰るまでの家族の反応はどうか。
A 帰る時期は「自分で決めて」と夫からは言われていた。納得するまでは帰らないと決め娘の入園を機に帰ってきた。「まだ帰ってこないのか」と聞かれるたびに、ストレスになった。最後は納得して帰ってきた。そうしなければ人のせいにしていた。
帰還後は、自分で測定し納得をしてここで暮らそうと思った。自分と家族で決めたので後悔はない。
A 山形にずっと避難していたいと思っていた。夫も最初は理解を示していたが、時が過ぎると意見が合わずケンカになる時もあった。娘を転校させたくないと考えが一致し3月に伊達市に住むことを決めた。帰還前は友達となじめるのか心配だったが、入学するとすぐに自分にも娘にも友達ができた。山形にいた理由を聞かれると、最初は言葉をにごしていたが、のちに正直に話をしたら共感してくれたので安心した。

Q 帰還してから地域的な事で困った事はなかったか。
A 避難していた事は親しい人には話すが、必要以上に話さない。

Q 伊達市の除染状況はどうか。
A 線量の高い部分のみ除染していて、肝心な生活圏内は除染してくれなかった。帰って来たお母さん達で署名活動をして除染をお願いしたが、無理だった。安全で帰りたいとは思えない現状だと思う。
A 自分ルールを決め基準の数値を超えたらその場に行かない、食べ物は食べさせない事にすると気持ちが楽になる。サンルームを作り洗濯物を干している。外気を室内に入れたくないし、食べ物や水にも気を使ってしまう。

Q 「伊達もんもの家」の活動を聞きたい。
A 4月からも継続が決まった。保養情報を求めているお母さんが多く、インターネットや、福島市の支援団体のパンフレットなどから情報収集をしている。
遊び場、散歩コース、観光スポットなど、放射線量の不安な箇所を、業者と一緒に測定したり地域でバスツアーをして交流をはかっている。
「避難者体験記録誌」を作った。お母さんのスキルアップができるように、パソコンの講習もしている。

Q 東京の避難者の住民は放射線測定値が信じられないので帰らないと言っていた。鈴木さんの自分の基準はどんなものか聞きたい。
A ホットスポットファインダーを使い、自分の目で確かめ測定したら信じられるようになったが、放射線量が高いと思った時、風が強いなど気になる日は公園に行かないようにしている。

Q 5〜6年ぶりに帰り本来の家族の形に戻った時に、どのように夫と暮らしていけばいいのか悩んでいる方が多い。夫と元の関係に戻るための葛藤や工夫があれば教えてほしい。
A 避難先で3人の子どもが産まれ、夫と子どもの人見知りが激しく自分から離れなくなった。夫は1人の時間が長かったため、何をしていいのかわからず協力してくれなかった。「今は4人のパパなんだよ」と伝えてからはだんだん、手伝ってくれるようになった。避難生活が長いと言葉で通じあう事ができないとも思った。
A 子どもと母親だけのペースで生活していたため、何でも言うようにした。離れている間にできた溝をうめるために、夫と交換日記をするようにした。当時は子育てで疲れていたので、会話の時間もあまりなかったが、1日1行でも書くようにし帰還後1年くらい日記は続けた。辛かったが半年後に溝は戻った。離れた期間が長ければ溝は更に深くなると思う。

Q 相談業務をしているが、納得してもらうために色んなことを提示してしまう。アドバイスはあるか?
A 納得は「覚悟」でもある。避難者も飛び込む勇気も必要で、情報収集も大切である。自分の心の中の問題で覚悟を決めて納得をしていくしかない。他人から言われてもだめで、きっかけはそれぞれだが、きちんと受け止める心をもっていれば苦しまずにすむ。

Q これからの帰還者支援について必要なものは何か。
A パソコン教室をしている。放射線量チェックも希望があれば自宅に測定に行ってもよい。洗濯物の放射性物質や、掃除機のゴミの中等踏み込んで対応したい。
話ができ不安を共有できる場を帰還した方は求めているので、今後大事にしたい。

☆【第2部】話題概要はこちらからご覧ください。
http://kizuna.yamagata1.jp/modules/d3diary/index.php?page=detail&bid=241
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